pirarucuruの備忘録

主に国会図書館デジタルコレクション内にある 戦前の著作権の切れた書籍をテキスト化しています。

英米の空爆原理(9)

八 ドイツの焦土化の計画

 

更にイギリスはアメリカが日本に対すると同じ様にドイツ本土を爆撃によって焦土としてしまう計画を建てている。このドイツ大空爆爆撃機一千を以ってする計画であると伝えられている。恐らくこの点に関してはイギリスはアメリカと協同計画を立てていることと思われる。

彼等は共に太平洋において日本の脅威を根本的に解消するには日本に潰滅的打撃を与うるが最も有効な方策と考え、ヨーロッパにおいての完全平和を確保するる為にはドイツを大々的に爆撃してその壊滅を計る他はないと考えている。

しかし、この焦土計画は要するに非戦闘員の爆殺、文明の大々的破壊の決行に外ならないのであってこれを指導する責任者の責任は誠に重大なるものがある。恐らく、彼等は斯くする以外に勝利を得る見込みがないと考えていることであろうが、彼等は日本及びドイツが彼等からの空爆によって一掃される迄ヂッと空を見つめて待っているものと思っているであろうか。

日本もドイツも左様な生やさしい国ではない。我等がそうした天空からの大虐殺の手を下されるならば我等も彼等に対して同じ方法で大報復行為をなすであろう。或いは彼等がその非道の手を下す一歩手前において我等が先手を打つかもしれない。この場合においても我等の行為は正当防衛である。

ドイツは既に非人道爆撃に対する報復をイギリスに加えているが、彼等は未だにそれを悟らないと見える。その報復の恐ろしさを十分に味わってないと見える。

或いはそれを味わったため「斯様な恐ろしい報復手段に出るドイツ民族は生優しい手段では懲らすことが出来ない、ドイツ民族を根こそぎに根絶してしまう意気込みで大爆撃を行わねばならぬ。今は人道をあれこれ言っている時ではない。生き残るか滅ぼされるかの戦である。人道とか国際法とかに拘泥している場合ではない。左様な事に議論する事は閑人に任すがよい。実際問題としてはドイツを倒すためには手段を選ぶ必要がない。この戦に負けては英帝国は滅亡する。英国は三流国に突き落とされる。故に今はあらん限りの方法、あらん限りの力を尽くしてドイツ打倒、ヒットラー主義の覆滅を計らねばならぬ」としての事であろう。

本来イギリスが如何にドイツ、ヒットラー政権下のドイツを左様に憎悪せねばならぬかは理性上我等の了解に苦しむる所である。ヒットラーが政権獲得以来外交上最も努力を払ったのはフランス並みにイギリスと友好関係を結ぶことであった。ヒットラー総統のこの熱望はポーランドと戦争を始めて後も変わらなかった。総統はポーランド問題を局地的に解決してヨーロッパの平和を従来よりは一層合理的な、満足すべき基礎の上に再建することを念願していた。

然るに、ヒットラー総統のこの熱望は英仏、主として英国の頑強な反対の為に挫折してしまった。本来ドイツはポーランドとなるべく戦争をせずにダンチヒ及びドイツにとって切実な「回廊」地域の問題を商議によって解決したいとしていたのであってポーランドと双互条約を結んだのもこの希望の現われであった。

しかし、イギリスはドイツがポーランドとの和親の裡に領土の回復を計ることには極力反対であった。その為イギリスはポーランドに金を貸して保障条約を結び、ポーランドをしてドイツとの条約を破棄せむるに至った。これは明白にヒットラー総統に対する挑戦であった。爾来ポーランドは不賢明にもドイツの要求、希望に対し強硬に反対するの態度に転ずるに至った。これはもちろんイギリスとフランスの後援を頼んでのことであった。

これは丁度蒋政権下の支那がイギリスとアメリカの後援を頼んで日本に対し和協的態度に出ることを拒んだのと同様である。

この点に関し、あるイギリス人が批評していることがある。曰く、

ヒットラー総統が1939年4月28日の演説において指摘した如くドイツがポーランドと平和条約を結んだ時彼は当時ポーランドとフランスとの間に結ばれてあった「双互安全保障条約」について何等の反対をも唱えなかった。しかし、ポーランドとしてはドイツと平和条約を結んでおきながら今また英国と条約を結んである条件の下にはドイツに対し戦争をすると約束することは明白にドイツとの平和条約に対する違反行為である。

ポーランドは果たして何の利益が得られると考えて、斯様な不振な行動を採ったのであろうか。ポーランド領内の「回廊」地域の存在はドイツにとりては非理、不合理の甚だしいものであって世人の多くはドイツが長い間それを我慢していた事を寧ろ不思議に思っている位である。ダンチヒがドイツの都市である事は、リバプールが英国の都市であることと何等異なる所がない。例えば、英国があの世界大戦に敗れた結果ドイツがリバプールをデヴアレラ政権下のアイルランドに譲渡したと考えてみるがよい。斯様な処置に対し我々が果たして長く耐え得るであろうか。

ヒットラーポーランドと平和協約を締結して良くそれを忠実に守っていたが、今彼はその義務から解放された。「回廊地域」の奪還、ダンチヒドイツ国への編入ヒットラーは今これを断行する自由を有している。ポーランドがドイツに対し戦争を始めると想像せよ、英国がそれに巻き込まれるとしてその事がポーランドを救うことになるであろうか。我々英国はポーランド土星にあるのと同じ様に救援しようとしても手の施しようがないではないか。従って我々がポーランドを誘惑して斯かるじさつ戦に突進せしむることはヨーロッパの平和を故意に乱す悪業と断ぜざるを得ない。

問題は何故にイギリスがかくも新興ドイツを嫉視し憎悪するかであるがそれは左の四つの理由に基づくものと思われる。

一、新興ドイツの通商上の競争力を嫉視し、疑惧すること

二、ナチ独逸の植民地返還要求を好まざること

三、独裁政権を好まざること

四、ヒットラー総統のゆだや人排斥に激憤せること

「英国としては少数民族の運命については深く意を留める必要はなく、ただ必要なるはダニューヴ流域及びバルカン地方においてドイツ通商の発展することを是非することである」とは保守党勢力化の英国の一重要対独逸政策であったもののようである。英国はドイツが通商上海外の市場において発展を為すにも反対であり、ヨーロッパ大陸においても手を伸ばすことにも反対であった。

ドイツとしては又通商を発展さす上においても原料を得る必要からしても植民地を返してもらいたいとする正当な理由があったが、英国はこの要求には耳を貸さなかったのみか、植民地をドイツに返還してはドイツの対英抗争力を増すことになるとしてドイツのこの要求を却ってドイツが野心を包蔵している証拠だと考えたのであろう。

英国は又米国と同じように独裁政治を嫌うこと甚だしい。これは民族性にも帰因するが又一つには通商上の考慮からしても起ることである。即ち、彼等は独裁国の貿易は結局において国家自らが行うものであることを知っている。英米の貿易業者は他国の国家機関と競争することは不可能だと考えたのである。

次に英国は米国と同じ様にユダヤ人の勢力の延びわたっている国である。ユダヤ人の勢力の延びる所必ず新聞通信機関がユダヤ人の勢力化に帰する一般現象は英国においてと同じ様に米国においても見られている。この言論通信機関がユダヤ人によって握られている民主国の英米ユダヤ人排斥に全力を傾けたヒットラー政権打倒、ドイツ民族撲滅を期するに至ったことは不思議でもなかろう。

英米の空爆原理(8)

七 ヒットラー総統と非人道的空爆

 

非人道的空爆の責任を一層明白にする為には我等は進んで、この問題に対するヒットラー総統の日頃の態度並びに戦争開始以来の態度を知ることが必要である。

ヒットラー総統はヒンデンブルク元帥の後継者として政権を握った当時から熱心な非人道的空爆の反対者であった。総統に就任してから数ヵ月後の1933年5月17日彼は議会において「ドイツ近隣国が同様のことを為すならば軍備を撤退する用意がある。」と声明したが、その年の10月14日国際連盟脱退を決行して間もなく彼は当時緊張していた国際関係の緩和を計る目的を以って新しい提案を発表した。その提案の内には「各国は人道主義に基いて戦争を行うこと、即ち、非戦闘民衆に対して或武器を用いないことについて義務を承認すること」と言うのがあった。これはヒットラー総統が非戦闘員を空爆することに反対であることを始めて世界に明白にしたものであった。

続いて1935年3月21日の演説においても総統は曰った。

「ドイツ政府は無拘束の軍備に対し或実際的制限に導くに資する一切の努力には積極的分担を為すであろう。ドイツ政府は前のゼネバ議定書の観念に復帰することがこの目的に達する唯一の道と考える。現在に於いても有効なゼネバ議定書に根本的に違反している武器及び交戦方法は漸を追うて廃し、そして禁止するに至ることの可能を信じている。ダムダムの使用がかつて禁じられ、その結果実際的には防圧されてしまったと同じ様にある他の一定の武器の使用は禁じ、そして防圧されねばならぬ。かく言う時ドイツ政府は一撃の下に戦闘員に対してよりは寧ろ非戦闘員としての婦女子及び児童に多くの殺戮をもたらす武器を考慮するものである。ドイツ政府は無制限の空爆の問題を不問に附しておきながら飛行機の廃止を考うることは誤りであり又効果を挙げ得ないことと信ずる」

次に1939年3月16日徴兵制の採用を決定すると同時に総統はまたもや各国と協約を結んで了解に達したい意のあることを声明したが、その時声明した提案の骨子は矢張り将来の戦争は人道主義に基いて行うべきであることを強調したものであった。

ヒットラー政権下のドイツが非人道的な空襲を行う意思が無かったのみならず極力それをみな避けようとした事はヒットラー総統が1939年10月6日、即ち、ポーランドとの戦争の始まってから約5週間目に発表した「ヨーロッパの平穏化を計る新計画」の内にもよく現れている即ち、彼は曰った、

「予は明白な、そして拘束力のある国際条約によってある種の使用が許され又は禁ぜられる範囲の定義を規定する迄は国家安定の感が復帰するものでないと信ずる。ゼネバ会議はかつて文明諸国に於いて負傷者の殺戮、捕虜の虐待、非戦闘員に対する戦闘行為等を禁ずることに成功したが、この規定の一般的遵守が追々達成されようとしていた点からしても空襲、毒ガス及び潜水艦の使用等についても規定し、そして禁制品を決定して戦争が女子児童及び一般非戦闘員に対して行わる惨忍性を失わしむべきであった。現代襲においてある戦法がいよいよ増していく恐ろしさは結局それ自身の力で廃止にまで導かれ。終に時代外れのものとなるであろう。ポーランドとの戦に於いて予は空爆を軍事重要物に対してか或はある地点に於いて実際的の反抗と拇抗する場合にのみ使用せしむることに努力した。しかし、一般的に有効な国際規約が設けられるには赤十字社が力を尽くすべきである」

ヒットラー総統は1940年5月4日の国会演説に於いても英空軍の非人道的空爆に対し警告を発して曰く、

チャーチルは宣伝業者を使ってイギリス空軍は独力で戦争を斯かる方法で行うことができるとし、且つイギリス空軍の仮借なき爆撃により飢餓封鎖と相寄り相まってドイツの一般民衆を屈服せしめ得る新しい戦術を案出したと言わしめた。予はこの点に関し重ねて警告を発して3ヶ月半も回答を待っていた。しかし、この予の警告は彼には何等の反省をも促さなかった。勿論それは少しも不思議をするに足らないことである。彼は人命がどうなろうと、文化又は建築物ないしは芸術がどうなろうと又は年が廃墟となろうと左様な事には頓着なしに戦争をすることをこの戦争の始まった当時声明したが、彼は今その要求していた戦争を得ている。或時機にはそれを転機をして爆弾には爆弾を以って報いるであろう必要とあらば、百個の爆弾を以ってでも報いるであろう。」

1940年6月19日イギリス本土大爆撃を行うに至った際もヒットラー総統は最後的に一大警告を発している。

我等は以上によって空軍の活動につきヒットラー総統の採った人道的考慮と方針に氏の疑をも挟むことが出来ない。総統が非人道的な空爆の熱烈な反対家であった事、そしてそれがポーランドとの戦争に於ても、英国との戦争に於ても、誤りなく示された事は最早議論の地がない。ただドイツ空軍がワルソーに於ても、ロッテルダム和蘭の)に於ても大空襲を行わざるを得ないに至ったのはその災厄を未然に防ぐ為に期限付きの警告を発して後止むを得ず最後の手段として行ったのである。決して初めから無警告に行ったのではない。ワルソーを取ったのはこれを占領する軍事上の必要からの事である。同様のことを我等はロッテルダムについて言うことができる。もし当時独軍ロッテルダムを占領しなかったならばイギリスが占領して上陸基地とするおそれがあったのである。

英米の空爆原理(7)

 六、ワルソー(ワルシャワ)及びロッテルダムの空襲について

 

英米側は自分等の非人道的空襲を弁解する口実としてさかんにドイツのワルソーおよびロッテルダム爆撃の例を挙げているが、これは鬼面人を驚かすの類である。

今当時、即ち、昭和14年9月1日ドイツとポーランドとがいよいよ砲火を交わすことになったその日以後若干日の間に演ぜられたドイツ機のポーランド空襲情況を左に回顧する。

 

9月1日。ドイツ空軍は午前9時ワルソー及びその他諸都市を空襲したが、それは飛行場及び一般軍事施設を目標としたものであった(東朝特派員特電)

9月1日。ドイツ参謀本部午後4時の発表によれば、同日ドイツ空軍爆撃機三箇中隊は大挙してワルソーの約100キロ南方に在るロドム市の軍用飛行場を爆撃して多大の成果を収めた。(同上)

9月2日。ワルソーは2日早朝ドイツ空軍の爆撃を受け、次で午前7時55分及び同9時55分の両度にわたりて第二次及び第三次の空爆を受けたが、市中は全く爆撃を被らず遥か郊外方面において僅かに爆発炸裂の響を聞いたのみであった。(ワルソー発同盟)

9月4日。午後5時ドイツ爆撃機の大編隊は再びワルソーの上空に現われ大爆撃を行った。ドイツ機は郊外の各地に爆弾の雨を降らせた。(ワルソー発同盟)

9月5日。5日はドイツ飛行機の襲撃一段と活発とない早朝から10時迄20分毎にワルソーを攻撃した。(ワルソー発同盟)

9月7日。ドイツ側発表によれば7日朝ドイツ空軍のワルソー軍事施設爆撃により西停車場は火災を起し盛んに成果を収めた。(ベルリン発同盟)

9月10日。ワルソー全市は一大要塞化した。小児迄がバリケードの構築に手伝っている。ドイツ軍は芝居に猛攻を加えている。(ベルリン発同盟)

 

以上によって我等の知り得ることはドイツ空軍が決して当初からワルソー爆撃を為さなかった事である。居住民がワルソー防衛指揮官の命を奉じて武装抵抗を試みるに至った為ドイツ軍は決意を為さざるを得なくなったのである。しかし、ドイツ軍はなおも一週間も要塞司令官に降服を勧誘し、その勧誘に応じない場合の結果について警告を発していた。そして多面においてワルソーの上空からビラをまいて市民に

 

(一)今後ワルソーの防備に協力せざること

(二)万一この警告を無視して防備に協力する場合はドイツ軍はワルソーを防備としと見なして容赦なく攻撃し、平和回復後は軍法によって処分すべし

 

との二項を示して断乎たる警告を発したのであった。

ロッテルダムについてもほぼ同様の事が言い得られる。即ち、ドイツ軍はロッテルダム攻撃の際もラジオを通じて降服要求を試みたのである。ロッテルダムは全オランダをひとつの要塞とすればその一隅の支柱とも称すべき状態に置かれていたのであった。ドイツとしては戦略上の考慮からしてもこの支柱を攻略する必要があった。これはドイツがいち早くこの地を略取せずして放任して置く時は英軍がその地から上陸する恐れがあったと説けば何人も成る程と理解出来得るであろう。しかるに、当時ドイツ軍の降服要求がオランダ軍によって拒絶されたので止むを得ず空陸協力の攻撃が行われたのである。オランダ側が英軍の上陸を許す意思のあった事はその際発見された書類によって明白にされている。

またワルソーにせよはたまたロッテルダムにせよ当時敵味方が相対峙していた戦線において警告を発して後攻撃が行われたのである。これを以ってドイツ本国の平和地域に無警告のまま老幼婦女を含む非戦闘員や寺院、病院、その他文化施設を目標として爆弾を投ずる行為とは同一視する訳にはいかない。

 

英米の空爆原理(6)

 五、イギリスの言いわけ

 

当時英国のある雑誌は非戦闘員に対する空爆を、言いわけする為に左のごとく述べていた。

「今回の世界戦では軍人と一般市民との間における明確な区別が立てられなくなった。不運にも軍需地域付近に住居している人たちは矢張り第一線の戦闘員と同一に見られても致し方がない但し、戦争に関係のない仕事に就事している者は斯かる被害を受けなくてすむよう政府に要求したらよさそうなものである。又他の方面から考えると、非戦闘員に対する空襲はその結果において攻撃国の非戦闘員をかかる攻撃から保護することになるからその点からしては防御的性質を有するものである。更に又考うるに、大洋上で潜水艦の為に生命を失う非戦闘員もある位であるから悲劇と言えば、この場合お互い様である。今は人道的見地で心を苦しめているような悠長な時ではない」

以上の考え方は明らかに誤りであってそれは?だ英国人の道徳心の退化を語るに過ぎない「今回の世界戦では軍人と一般市民との間における明確な区別が立てられなくなった」とは何たる非道な考え方であろうか。今回の対戦は国民と国民との間の総力戦であるから銃後の非戦闘員も戦線の戦闘員と同じような意気込みで増産に努力せねばならぬというような意味においては勿論戦闘員と非戦闘員との間の区別は明白に立てられなくなったとは正しき考え方であるが、それは国家に対する国民の義務の見地からしての事であって敵地を襲撃する場合にはこの両者の区管は明白に立ててかからねばならぬのである、又少なくとも大体は立て得らるるものである。素より空襲の場合、目標が外れて付近の民家、民衆に傷害を加えることは有り得ることであるが、これは意識的に民家、民衆を目標にするのとは大いに趣を異にしている。前者は恕し得らるるとしても後者は許すことの出来ない暴虐行為である。もし前記英誌の代弁する英国人の弁明が受け入れられるものとすれば戦争ではどんな非人道的行動をとってもよろしと言うことになるのみならず一切の戦時国際法の規定は無用の空語となってしまう。

かくの如きは人道を無視し、文明を逆転せしむる行為でなくて何であろうか。更に「非戦闘員に対する空襲はその結果において攻撃国のかかる攻撃から保護することになるからその点からしては防御的性質を有するものである」とは誠に得手勝手な詭弁に過ぎない。

第一にかかる暴逆な爆撃を受けてドイツが長く無為に過ごすとは考えられないことであってイギリス機がドイツの国土を盲爆する時はドイツをしてそれだけ報復の勇気又は力を失わしめるであろうとは議論としても正しいものでないのみならず余りにもドイツ人を見くびった言い方でありまたドイツの空軍力を軽く見過ぎたもので当たらないこと甚だしいと言えるであろう。

「大洋上で潜水艦の為に生命を失う非戦闘員もある位であるから…」とは何事であるか。今日海上旅行を為す者は危険を予知して殆ど皆成年男子にのみ限られている。その上船舶は住宅ではない。船舶は病院船を除いては襲撃の標的となるものである事は一般に認められている。これに反してイギリス機の爆撃の的となって不慮の爆死を遂げ又は傷害を受けた非戦闘員の中には婦女子や少年たちも含まれていた。

前記英誌が潜水艦の襲撃を云々するのはイギリス人の多数がドイツ潜水艦に撃沈されることを指すのであろうがドイツ人はこの反駁に対し「雷撃を受けて船舶と共にしぬ非戦闘員と盲爆の犠牲となる者とを同一に見ることは出来ない。船舶の乗客は乗船を拒み得たに拘らず自ら承知の上で危険を冒したものである」と反駁している。

 

英米の空爆原理(5)

ロ、ドイツの報復

 

ドイツの対イギリス空襲戦を始めたのはその年、即ち、1940年の6月20日の夜のことであった。それ迄ドイツは一度もイギリスの国土に爆撃を加えなかったのである。勿論、9月29日にはヘリゴランド湾を襲い、10月16日にはスコットランドのフォラ湾を襲うたことはあるが、それは湾内の軍艦を目標としたのもであった。陸上に対して空襲を行ったのは6月20日が始めであった。これは勿論報復行為であったが、その真目的は英国をして非人道的な無防備都市や住宅地域に対する爆撃を中止さすことであった。かく言うと、独機がこのとき英国諸都市の住宅区域や無防備都市に爆撃を加えたように解せられるが、事実はそのときですらドイツ機の爆撃は軍事目標に限られていたのである。即ち、この一時によって見ると、ドイツ気の当時の対英空襲が実際の報復として行われたものではなくて決意を込めた警告として行われたものに過ぎない事が理解出来るであろう。

これを要するに、ドイツは英国に対し「英国空軍の行うことはドイツ空軍も何時でも行いうるぞ」との実物教訓の序幕を切ったのに過ぎなかったのである。

しかし、頑迷は英国はドイツのこの警告を警告として受け入れず直ちにまた報復爆撃を行ってシュバイヤーの大寺院、ビュッケベリクの聖地、ゲーテの「ガルテンハウス」、フリトドリツヒスルーに在るビスマークの墓所などに爆撃を加えた外にベルリンの住宅地域を目掛けて非人道的爆撃を8回も加えた。

この英軍の非人道的行為を見せつけられてはドイツも止むを得ず実物教訓を課す必要があるとしてついに1940年の9月6日の夜半から7日に至る間において報復的意図の下に大編成を以ってロンドン空襲を敢行したのである。ドイツは実に8ヶ月の久しい間隠忍に隠忍を重ねて英機非人道的爆撃に耐えていたのであったが、隠忍が無力と解されて暴行の底止することが無かったのでついに報復空襲を断行するに至ったのである。ドイツ側の採ったこの態度は日本人にはよく理解できるであろう。

ここに寧ろ滑稽なことは当時英国側が「ドイツは最近本国防衛の必要に迫られ東部戦線から飛行機を呼び戻した」などと誠しやかにデマ宣伝をした事であった。ドイツのような用意周到な国が本独の年防衛に事欠く迄に殆んど全部の飛行機を戦線に送り出すとは想像の出来ないことである。

なおイギリス機が8ヶ月間にわたるドイツ本土爆撃に際し何れだけが実際に軍事施設に向けて行われたかと言うに、それは総爆撃の数を100とすればその内の43%だけであって残りの57%は民家その他の非軍事目標に対して行われたのであった。即ち、イギリス機のドイツ本土において行った爆撃行為の過半は民家あるいは非戦闘員に対するテロ行為であった。

英米の空爆原理(4)

四、ドイツとイギリスとの各国爆撃

 

眼を転じてヨーロッパの戦線を見るに、ドイツとイギリスとの間には苛烈な空爆戦が今なお行われている。

これに関し我等の気づくことは日本の出版物の多くがドイツ機の英国爆撃行為に力を入れていることはしばらくおくとして非人道爆撃についての責任の所在を明らかにするに努めていないことである。例えば、近頃出版された「都市と防空」という本にも「ドイツは1940年6月18日対英空襲を開始し、8月9日よりこれを激化し、9月7日から大編隊をもってロンドンおよびその周辺を連続爆撃した」とあってその6月18日以前イギリス機のドイツ本土において加えた爆撃には一言半句も触れていない。

又「防空」と題する書物にも1940年6月20日以降のドイツ機のイギリス本土一空襲の記録が掲げられてあるだけであってイギリス機のドイツ空襲に就いては少しも載っていない。これは要するにその頃日本の同盟国たるドイツが敵機に爆撃されて受けた被害は書かない方がよいと考えてからの事でもあろうが、事実の真相を述べるという点からしても又非人道爆撃の責任国を明白にすると言う見地からしても6月(1940年)以前の空襲戦の真相をに触れるが正当であろう。

 

 

イ、イギリスのドイツ空襲

 

独英相互空襲の記録を何等の偏見なしに調べて見ると我等の第一に知り得ることは戦争の始まった1939年の9月3日からその年の終りまではイギリスはドイツに対し左の様な空襲を行ったことである。

日時(1939年)9月4日

目標 ウイルヘルムハーフェン及びブルンスビュッテル等の要港

ドイツ戦艦一隻大損害を受く

 

9月3日 ドイツの北部及び西部にかけ大規模な偵察飛行を行い多数のリーフレットを撒布す

 

9月24日夜(英仏連合)フリードリヒスハーフェンの発動機工場を爆撃す

勿論以上は目標物の関する限り軍事用のものに限られていた。

問題は1940年に入ってからの爆撃である。この点において我等が回顧して驚くことは1月から5月21日の夜までの五ヶ月の間において英国がドイツの無防備都市を空襲したのは左の通り6回に及んでいる事実である。

 

日時1月12日爆撃地 ウエスヨーラント(シルト島)

4月21日ハイリゲンハーフェン(シュレスヴヴイヒホルスタイン

4月23日オスバの住宅区域

4月25日ハイフ(シュレスヴヴイヒホルスタイン

5月10日~12日フライブルク市及びその他

5月21日夜(22日に至る)ライト、ミュンヘングラートバッハ、ボン、アーヘンその他ドイツ地方の諸都市及び村落

1月12日のシルト島のウスターランド空襲こそはイギリスが真の意味においてドイツに加えた最初の空爆であった。そしてそれは軍事施設も何もない真実の一寒村に過ぎなかったのである。

又5月10日の空襲によって市民の死傷は200余名に上っている。この5月10日から3日間にわたって行われた空爆はほとんどドイツの全土にわたって行われたものであってその回数は71回にもおよび、直接軍事目標に対して行われたものは6回に過ぎず残りの分はことごとく非軍事施設を目標としてのものであった。

右の内5月21日夜半から22日に及んだ爆撃については当時アメリカのベルリン駐在員もそれが専ら住宅区域に対して為された事を確認していたとのことである。

中にもフライブルグが爆撃を受けたのは注目すべきことであった。フライブルクは英機の爆撃の結果一般市民の間に約二百名の死傷者を出したと発表されている。

なお5月22日以降31日に至る10日間には英機の空襲は165も繰り返され、その内105回は軍事目標以外に対して行われたと報ぜられている。その当時イギリス機の連続的盲爆を被ったドイツの諸都市にはウォルス、バーランボルン、ハイヂルベルグ、シュヴェーリン等が含まれている。

我等が第二に知り得る事はこれ等イギリス機のドイツ本土に対する非人道的爆撃がドイツ機の対英空襲の報復として行われたものでなくてドイツ機が真の意味においてイギリスを空襲しない前に敢行されたことである。

驚くべき事は英国駐屯アメリカ空軍司令官がこうした非人道的空襲についてあるイギリス新聞記者に「夜間住宅地域の爆撃は一般住民にとりては全く不意に出た行動であったため彼等に恐るべき神経的影響を与えることが出来た。その爆撃は意思的に住民の住宅に対しまた住民の最も重要とする物に向けられたのである」と告げたことである。これに対しドイツの世論は道徳と国際法に違反した戦争指導がかくも明確に述べられたことはないとの数語に尽きるものがあった。

 

英米の空爆原理(3)

 三 米空軍の日本焦土化計画

 

しかし、前述の昨年4月18日行われた米機の日本空襲の様な程度のものならば今後何回見舞われても大した事ではないが、今後何れの日にか為されることを期待せねばならぬのは徹底的に大仕掛けなものである事は想像するに難くない。「太平洋戦線の最も重要な戦闘は支那の空の下において将た又日本の空の下において行われるであろう」とのルーズヴェルト大統領の本年2月12日放った壮語は今日日本では殆ど知らない者とてはない程であるが、これを以って単なる空言と思うは誤りである。特にこの事は最近ワシントンで行われたルーズヴェルトチャーチルの会議に於いて決定された事項の内に含まれていることは疑う余地がない。

又去る415首相官邸で開かれた地方長官会議において我が陸軍当局が「最近米国の世論、その戦備進捗の現況に鑑みるとき帝国本土に対する敵の空襲はこれが実現必至と想像せらる」との警告を与えて防空に手落ちのないようにと注意を与えたことから判断してもアメリカ空軍の日本大襲撃は十分可能性のあることと思われる、否、それは既に実行途上に在るものと信じてよい。

我等は昨日迄は「敵の大空襲は成層圏から行われるであろう」との放送に耳を傾けていた。しかし、これは「敵の大空襲は未だ実行期に入っていない」というのと同じ様に我等に聞こえていた。今日はそうではない。我々は敵国アメリカが先月(4月)迄に既に11隻の航空母艦を進水せしめ更に5月下旬に新に一隻を進水せしめた事、そしてその上になお60隻の航空母艦の建造中であると告げられる。昨日我等は「敵のハワイ、ミッドウェイ、グアムより進攻線はグアムを失ひたることによって役立たず、アリューシャンよりの線もキスカ、アッツ南島を我に取られた結果、それによることは余程困難となった」と告げられた。しかし、今日我等は敵がキスカ、アッツ南島の奪還努力の異常なるものある事を告げられる。そしてアッツの方は遺憾ながら一時的とは言え奪還されてしまった。ハワイ、ミッドウェイ方面からの進攻は彼等としては航空母艦を利用することにせばグワムの喪失を憂うる必要はないとしている事であろう。

即ち、彼等は航空母艦によってアリューシャン群島の線とハワイ、ミッドウェイよりの線との中間の線を攻略とすればいいとしている事であろう。

その上支那大陸は彼等に取りては非常に貴重な基地である。昨日然り、今日も明日もその彼等に取りての貴重さには変化があり得ない。そして彼等は支那奥地の対日基地の強化を非常な熱意を以って計っている。又彼等は本年度末には12万5千の飛行機を有するに至ると我等は告げらる。

我等はどうして彼等の公言する「大空襲計画」によって精神的緊張を感ぜずにいられようか。三方面、否、四方面あるいはそれ以上の方面から、どっと一度に攻めて来る敵空軍の勢力は決して百機とか二百機とかのものではなかろう。敵の企図する所は日本の活動動脈を一挙に死滅さすに在るは明白である。しかし、勿論我等は日本にはチャンと待つあるの備えのあることと信じて止まない。

また実際問題としてはアリューシャン方面からは9月末以降は来初夏までまでは濃霧のため事実上不可能であり、南方からはグアムが我が手に在る以上は敵空軍の大挙襲来は実現はなはだ困難と思われる。敵が航空母艦の建造を急ぎ、アッツおよびキッカの奪還に異常な力を入れたのはこの困難を打破せんとしての事であろう。しかし、彼等のこの熱望は容易に達せられないであろう。

ただ彼等が、日本を焼野原にしなければ、との計画と決心を有していることだけは確実なる事である。そしてこれが我等の重大関心事でもあろ。